向かいの家が火事になって家族の大切さに気付いた

私が小学一年の頃、祖父と祖母、母と父と弟の6人で住んでいました。田舎だったので夜になると明かりもあまりなく、周りが畑や家だったのでとても静かでした。家族もみんな寝静まって深夜一時頃だったと思います。いきなり外から救急車や消防車のサイレンの音が響き渡りました。私と弟は熟睡していてすぐに気づきませんでしたが、母と父はすぐさま異変に気付き、私と弟と祖父祖母を起こし外に出てみました。すると一本道を挟んで少し奥の家が燃えているのがはっきりと見えたのです。静寂な夜に轟く木の軋む音。燃え盛る炎に飲まれる、見慣れた隣人の家。炎が大きく立ち昇るさらに上空には、星空を覆い隠すように白い煙がモクモクと立ち込めていました。

そんなに遠くなかったので、火の粉が私達の家まで飛んできていました。

周りの家の方たちも外に出て、ただじっとその様子を見守っていました。

私は生まれて初めて見る火事にとても恐怖を感じました。

自分は何もすることができず、ただただ様子を見ていることしかできませんでした。

その時の恐怖と虚しさは、今でも消防車のサイレンを聞くと思い出します。

きっとこの時、家族みんなが恐怖を感じていたと思います。このできことで私は家族や友人がとても大事だと気付き大切にすることができていると思います。
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捨て猫みいちゃんとの夕暮れの思い出

子供の頃から動物が大好きでした。
小学三年生の夏休み、友達と公園で生まれたばかりの子猫が段ボールに入れられて捨てられているのを見つけました。
当時、団地暮らしでペットを飼う事は出来ないので家に連れて帰る事は出来ません。
友達も同じです。
おこづかいで牛乳とスポイドを買いミルクを飲ませて買ってくれるおうちを探そうという事になりました。
バスで10分くらいの所に大きな一軒家が並ぶ地域があり、そこならどこか飼ってくれる家があるかもしれないという話になりました。
ミルクとスポイドでお小遣いはすでに使いきっていたので、段ボールを友達と交互に持ちながら一生懸命歩きました。
その頃、郵便局に無料の冷水器が置いてあり立ち寄って飲みました。あの時の水の美味しさは今でも覚えています。
ふらふらになりながら目的の地域についた頃にはもう夕方になっていました。

ちなみに今でもそうだと思うのですが、羽倉のランドセルはしっかりした革製のランドセルで当時の私には少し重くて、歩き疲れる原因にもなっていたと思います(笑)
一軒一軒、ベルを鳴らして子猫もらってくれませんかと尋ねましたがどこもごめんねという返事でした。
泣きたい気持ちを我慢していたら先に友達が泣き出して、それにつられて私も泣きました。
子供二人が泣いていたので、通りがかりのおばさんが話かけてきて、事情を話すと家に連れていってくれて冷たいアイスキャンデーを一本づつくれました。
そこの家にも猫がいて、段ボールに入っている子猫を覗きこみました。
おばさんが一匹も二匹も手間は同じだからおばちゃん家で飼ってあげるよと言ってくれました。
私達は今度は嬉しくてワンワン泣きました。
そのあと、うちに電話をしてくれて、心配していた母たちが迎えにきてくれました。
子猫はみいちゃんと名付けられ私達が高校生の頃まで生きて良く遊びに行かせてもらいました。
今、うちの猫の名前もみいちゃんです。
夏になるといつもあの日の事を思い出します。

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母親の不思議体験

小学校時代の話です。まだ7、8歳の頃だったと思います。家族といとこ家族でキャンプへ行き、バンガローに宿泊しました。夜中のことです。母親が、UFOと宇宙人を見た!と言うのです。私は寝ぼけているのかなと思いました。それとも、子供だましなことでも言って驚かそうとしているのかなと思っていました。しかし、次の日の朝、いとこ家族にもUFOを見たと話していました。大人にも真剣に話をしていたので正直びっくりしたことを覚えています。母親が寝ぼけていたのか、本当にUFOがいて、宇宙人もいたのかは、今でも本当のことはわかりません。
母親は他にも不思議なことを言っていたのです。おばあちゃんの家にある、うちでの小づちの絵画が動いていたと言うことです。周りは半信半疑でしたが、本人は頭がおかしいわけでも、妄想癖があるわけでもありません。子どもながらに本当にそのようなことが起こりうるのが不思議で仕方なかったことをいまでも時々思い出します。

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ずっと怖かったもの

私は両親と姉の4人家族でした。
母と私と姉は色白でしたが、父は仕事柄、一年中日焼けしていて色黒でした。
特に顔面はとても日焼けしていたのを覚えています。
小さい頃は家族みんなで毎日一緒にお風呂に入っていました。
母と私が体を洗っているときは、父と姉が湯船につかり、今度は交代して、父と姉が体を洗い、母と私が湯船に浸かる。というリズムでした。
私が湯船につかっているときは父と姉が体を洗っているのを湯船の中で見ているのですが、その時にいつも父は洗顔をしていました。
洗顔をして泡だらけになった父の顔を見るのが怖くて怖くて、泣いていた記憶があります。未だに家族に笑われる出来事です。
普段色黒の父が真っ白になるのが怖かったのかな。と、未だに不思議です。
しかし、最近になってもう一つ怖いものが。
近年、猛禽類のカフェなどで人気になったメンフクロウに私は恐怖を感じました。
なぜか、幼いころに見た、父の洗顔中の真っ白な顔が思い浮かんできました。
真っ白に覆われた泡の中で、唯一、目の部分だけが泡がなく黒く空いてる。
そうか、私はこういうのが苦手なんだ。と、納得しました。
怖いものって、幼い頃と変わらないんだなと思いました。

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大冒険。

私の記憶の中では小学校3年生が、小学校2年生だったと思うのですが、警察沙汰になった記憶があります。それというのも、ある日母と、姉と3人で買い物に行ったときのことです。靴屋さんに行った記憶があるのですが、私は、母に靴を買ってとせがんだ覚えがあります。しかし、母は、「今日はだめです、次に来たときに買ってあげるから。)それでも私は、だだをこね続けたのです。困った母は、「あなたなんか知らん!」と言って怒ったのです。そして、私も抑え切れない気持ちが募り、その場合去っていったのです。もちろん、母は、大慌てです。(いちど見つかりかけ、車の影に隠れた記憶もあります。) 子供がいなくなったのですから。もちろん警察に捜索願かけてました。そんなことになってるなんて思ってもいない、子供の私は、家まで歩いて帰ったのです。その距離にして15キロから、20キロ位?正直、母にしてみれば、子供の足で帰れるわけがないと思っていたみたいで、いなくなったあたりを、探し続けていたようです。そして、私と言えば大冒険です。正直どちらの道を歩けばいいのかさえわかりませんでしたが、怒りの力が強すぎて、家には、無事到着いたしました。父は、もしかしたら、歩いて帰ってくるかもしれないと、思ったらしく、家で待ってくれていました。その後はもちろん、大目玉をくらいました。が、母、父と「そんなにあの靴が欲しかったのか?。」と言って、次の日に靴を買ってくれました。

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周りの友達との比較

私は小学生の時に少年野球チームに所属していました。その頃の記憶としては苦痛で逃げたしたかったことしか思い出せません。なぜかというと私が所属していたチーム内では常に周りの友達と比較され続けてきたからです。幼なじみが少年野球を始めたことからの流れで私も少年野球チームに入ることになりました。小学生の頃、私は身体が小さく、野球をしても遠くに投げれない、打っても遠くに飛ばないので当然レギュラーにはなれずに補欠でした。それでも練習は休まず頑張っていたのですが、段々と母親が私と友達を比較して、「親として恥ずかしいからレギュラーになりなさい」と頻繁に言ってくるようになったのです。その頃から急に野球どころか人間関係すら苦しくなりました。まだ小学生だった私は他に選択肢が持てず、レギュラーをとる為に頑張り続けることしかできませんでした。レギュラーをとれないことよりも母親に怒られたり、悲しまれたりすることが私には大きな苦痛だったのです。大人になった今ではもっと少年野球は自分の意思で辞めていれば良かったと後悔しているくらい悪い思い出しか残っていません。唯一前向きに考えられることは自分が経験して嫌だったことを子どもには経験させたくないと思えることです。

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私は犯人じゃない!

今から数十年前、初めて小学校1年生になった私。担任は40代女性で怖い先生でした。叩いたりは、日常茶飯事でみんな怒られないよう顔色を伺って、のびのびなんて出来ません。萎縮しながら毎日学校生活を送ってまいました。なんせ小学1年生ですから、よそ見、手遊び、無駄話などすぐに直るはずがありません。その度に叩いたり大声を出したりする先生は、愛をもって叱っているようには思えません。自分のストレスを何も知らない純粋な小さな子供たちにぶつけているようにしか思えない行動です。あの当時でさえPTAや保護者から苦情のあった先生を、しかも1年生の担任にさせるなんて、教育委員会もおかしいです。今、当時の先生と同じ年代になり振り返っても、やっぱり人としておかしいなと感じています。一番嫌いな先生です。今も私の心に傷があります。理科の実験の際にあった出来事です。使用後の試験管を水道場でキレイに洗っていました。一緒に友達の早苗ちゃんも洗っていました。すると早苗ちゃんの手からスルリと試験管が落ちて割れてしまいました。一緒に片付けるために私は試験管を置いて、割れた試験管をかき集めていました。そこへ、担任がやってきました。「誰が割ったの?」と怖い声で叫びます。震えた早苗ちゃんは口を開きません。自分が割ったと申告しないのです。担任は私が割ったんだね!と決めつけました。「私じゃない!私は割ってない!」主張しました。早苗ちゃんは黙っています。結局、試験管は私が割った。ということに決めつけられました。そう早苗ちゃんは素直で先生のお気に入りでしたから。私を犯人にしたのです。早苗ちゃんは私にも謝りません。数十年の時間が経っても、一生この傷は消えません。今でもその嫌いな先生は元気に生きていらっしゃるようです。憎まれっ子世にはばかりすぎです(笑)

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白い猫の思い出

まだ小学校の低学年くらいの頃の話です。7歳くらいだったでしょうか。我が家は、川の近くに家があり、その当時は、まだそれほど住宅は建て混んでおらす、田園も広がる緑の多い景色でした。空高いところには、とんびも飛んでいました。子供たちは、学校から帰宅すると、近所に住む友達同士で、外に遊びに出掛けたものです。私もそんな喉かな子供時代を過ごしていました。ある日、いつものように友達と浅瀬の川へ遊びに行きました。そして、ひと遊びし、家に帰ろうと土手を歩いていたところ、白い猫が道の端にいたのです。可愛い小さな猫で、横になって寝ているようでした。動物好きな私は、可愛いらしい猫に癒されて、しばらく傍にいました。ただそれだけの記憶なのですが、今でもずっと印象に残っていて、情景を思い出すことが出来ます。今、思うに、多分、その猫は亡くなってたのかもしれません。人は、いろいろな経験をし、いろいろなものを見聞きして、大きくなっていきます。経験を積んだ大人になった今なら、その猫は多分車の事故に遭って亡くなってしまってたのだと想像できます。でも、当時小さかった私は、猫は生きててただ寝ているだけと思っていたのです。子供はとても純粋な心を持っているんだな‥と自分のことながら感じました。

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子供の頃夜に目撃した百目のオバケの正体。

まだ私が幼稚園生だった頃の旅行で遠くへ出かけた時の話です。
両親と夜のドライブを楽しんでいる途中、私はウトウトして眠ってしまいました。
そして車が停まった時にふと目を覚まして窓の外を見ると、おびただしい数の白い目が真っ暗な空間にボウッと浮かんでいたので思わず私は「百目のオバケだ!」と叫んで、親に早急に車を出すようにお願いした記憶がありました。
それから月日が経って私は大学生になり、関東から山形県へ引っ越して一人暮らしをする事になりました。
アパートに遊びに来ていた母に「そういえば昔、こっちの方に旅行に来た事があったわね?」と言われたのをきっかけに白い目の一件を思い出して気になってしまい、例の場所を探して夜の日本海側をドライブしてみました。
母に聞いたところあの時は海のすぐそばを走っていたという事で、おそらく同じコースであろう道をドライブしてみると…暗がりに突然視界がひらけて白い灯りが点々と光っている場所をついに見つけました。
なんとそれは、夜の工場だったのです。
後で母に言ってみたら、「あぁ、確か工場の灯りが綺麗だったから車を停めて見ていたような気がするわ」と懐かしんでいたので完全にビンゴです。
夢から覚めた感覚でしたが、何にせよ長年の謎が解けてスッキリしました。

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あの時から自分に甘かった

小学4年生の時、私はずる休みをよくしていたときがありました。今の小学生など学生達の問題でもある「学校に行きたくない」。今ものすごく多いと聞きます。実際私の会社の周りにもいました。でも私もそういう時期があり気持ちが分かるなと思っています。
私が行きたくなかった理由はただ単に先生が嫌いだったから。その先生は勉強が出来る・出来ないでかなり差別をする先生でした。でも私は学年で1番成績が良くてその先生からも優遇されていました。でもその先生のやり方や怒り方が嫌だったのかもしれません。また、そのときは腹痛に悩まされていました。3日ぐらい腹痛が続き学校に行きづらくなり、1週間ほど休んでいました。ですが無理矢理先生が「来い」と言われ無理に行きましたが、友達には距離をおかれ、勉強も全然ついていけなかったのを覚えています。今思えばビビリだなと、小心者だと情けないです。
多分学校行きたくない子供達が多いと言われ、私も経験者ですが、小学校よりも中学校の方が人付き合い・勉強が辛いし、中学生より高校生の方がもっと辛いし、それよりも大学生の方が辛いし。もっともっとそれよりも社会人の方が辛い・厳しいです。小学校でなんかつまづいていたら何も出来ません。頑張って強くなってほしいです。

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