ずっと怖かったもの

私は両親と姉の4人家族でした。
母と私と姉は色白でしたが、父は仕事柄、一年中日焼けしていて色黒でした。
特に顔面はとても日焼けしていたのを覚えています。
小さい頃は家族みんなで毎日一緒にお風呂に入っていました。
母と私が体を洗っているときは、父と姉が湯船につかり、今度は交代して、父と姉が体を洗い、母と私が湯船に浸かる。というリズムでした。
私が湯船につかっているときは父と姉が体を洗っているのを湯船の中で見ているのですが、その時にいつも父は洗顔をしていました。
洗顔をして泡だらけになった父の顔を見るのが怖くて怖くて、泣いていた記憶があります。未だに家族に笑われる出来事です。
普段色黒の父が真っ白になるのが怖かったのかな。と、未だに不思議です。
しかし、最近になってもう一つ怖いものが。
近年、猛禽類のカフェなどで人気になったメンフクロウに私は恐怖を感じました。
なぜか、幼いころに見た、父の洗顔中の真っ白な顔が思い浮かんできました。
真っ白に覆われた泡の中で、唯一、目の部分だけが泡がなく黒く空いてる。
そうか、私はこういうのが苦手なんだ。と、納得しました。
怖いものって、幼い頃と変わらないんだなと思いました。

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大冒険。

私の記憶の中では小学校3年生が、小学校2年生だったと思うのですが、警察沙汰になった記憶があります。それというのも、ある日母と、姉と3人で買い物に行ったときのことです。靴屋さんに行った記憶があるのですが、私は、母に靴を買ってとせがんだ覚えがあります。しかし、母は、「今日はだめです、次に来たときに買ってあげるから。)それでも私は、だだをこね続けたのです。困った母は、「あなたなんか知らん!」と言って怒ったのです。そして、私も抑え切れない気持ちが募り、その場合去っていったのです。もちろん、母は、大慌てです。(いちど見つかりかけ、車の影に隠れた記憶もあります。) 子供がいなくなったのですから。もちろん警察に捜索願かけてました。そんなことになってるなんて思ってもいない、子供の私は、家まで歩いて帰ったのです。その距離にして15キロから、20キロ位?正直、母にしてみれば、子供の足で帰れるわけがないと思っていたみたいで、いなくなったあたりを、探し続けていたようです。そして、私と言えば大冒険です。正直どちらの道を歩けばいいのかさえわかりませんでしたが、怒りの力が強すぎて、家には、無事到着いたしました。父は、もしかしたら、歩いて帰ってくるかもしれないと、思ったらしく、家で待ってくれていました。その後はもちろん、大目玉をくらいました。が、母、父と「そんなにあの靴が欲しかったのか?。」と言って、次の日に靴を買ってくれました。

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周りの友達との比較

私は小学生の時に少年野球チームに所属していました。その頃の記憶としては苦痛で逃げたしたかったことしか思い出せません。なぜかというと私が所属していたチーム内では常に周りの友達と比較され続けてきたからです。幼なじみが少年野球を始めたことからの流れで私も少年野球チームに入ることになりました。小学生の頃、私は身体が小さく、野球をしても遠くに投げれない、打っても遠くに飛ばないので当然レギュラーにはなれずに補欠でした。それでも練習は休まず頑張っていたのですが、段々と母親が私と友達を比較して、「親として恥ずかしいからレギュラーになりなさい」と頻繁に言ってくるようになったのです。その頃から急に野球どころか人間関係すら苦しくなりました。まだ小学生だった私は他に選択肢が持てず、レギュラーをとる為に頑張り続けることしかできませんでした。レギュラーをとれないことよりも母親に怒られたり、悲しまれたりすることが私には大きな苦痛だったのです。大人になった今ではもっと少年野球は自分の意思で辞めていれば良かったと後悔しているくらい悪い思い出しか残っていません。唯一前向きに考えられることは自分が経験して嫌だったことを子どもには経験させたくないと思えることです。

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